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文学博士(東京教育大学)
 
文学博士(東京教育大学)
  
千葉市教育委員会教育委員長、千葉市教育長
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千葉市教育長(代理)
  
  
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1967~1971年にかけてニューヨークに在住し、[[ニュースクール大学]]、[[ケンブリッジ大学]]ビジネススクール、[[ニューヨーク市立大学]](CUNY)などで学ぶ。1972~2005年にかけて、千葉市内の聾学校や千葉市教育委員会に奉職。
 
1967~1971年にかけてニューヨークに在住し、[[ニュースクール大学]]、[[ケンブリッジ大学]]ビジネススクール、[[ニューヨーク市立大学]](CUNY)などで学ぶ。1972~2005年にかけて、千葉市内の聾学校や千葉市教育委員会に奉職。
  
千葉市立小学校でクラス担任、教諭・千葉市立中学校などで英語科教諭、[[千葉市立中学校]]教務主任、[[千葉市立中学校]]教頭、千葉市立中学校[[校長]]を歴任。千葉市教育委員会教育委員長、千葉市教育長。2005年定年退職。千葉市永年勤続功労賞。
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千葉市立小学校でクラス担任、教諭・千葉市立中学校などで英語科教諭、[[千葉市立中学校]]教務主任、[[千葉市立中学校]]教頭、千葉市立中学校[[校長]]を歴任。千葉市教育長代理。2005年定年退職。千葉市永年勤続功労賞。
  
 
その間1985年10月には文部科学省の派遣で、1カ月にわたり欧米における海外教育事情を視察。1986~1989年にはギリシャ[[日本人学校]]教諭。宅地建物取引士、[[講道館]]柔道三段。[[千葉大学]]講師を歴任。
 
その間1985年10月には文部科学省の派遣で、1カ月にわたり欧米における海外教育事情を視察。1986~1989年にはギリシャ[[日本人学校]]教諭。宅地建物取引士、[[講道館]]柔道三段。[[千葉大学]]講師を歴任。

2020年12月29日 (火) 05:58時点における版

三樹正司 (みき しょうじ、 1945年〜    )は、日本の教育者、住職

文学博士(東京教育大学)

千葉市教育長(代理)


概略

1945年、北海道生まれ。実家は寺院。1967年、立正大学仏教学部卒業。東京教育大学大学院文学研究科哲学専攻修士課程修了、文学修士、同大学大学院文学研究科哲学専攻博士課程単位取得。文学博士(東京教育大学)

1967~1971年にかけてニューヨークに在住し、ニュースクール大学ケンブリッジ大学ビジネススクール、ニューヨーク市立大学(CUNY)などで学ぶ。1972~2005年にかけて、千葉市内の聾学校や千葉市教育委員会に奉職。

千葉市立小学校でクラス担任、教諭・千葉市立中学校などで英語科教諭、千葉市立中学校教務主任、千葉市立中学校教頭、千葉市立中学校校長を歴任。千葉市教育長代理。2005年定年退職。千葉市永年勤続功労賞。

その間1985年10月には文部科学省の派遣で、1カ月にわたり欧米における海外教育事情を視察。1986~1989年にはギリシャ日本人学校教諭。宅地建物取引士、講道館柔道三段。千葉大学講師を歴任。

現在は、悠々自適に暮らしている。

旭日小授賞

著作

  • 『この星に生きて』、 産経新聞出版社、 2019年3月20日発行

関連項目

外部リンク

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